日々のパレット

30代ワーキングマザーの雑記ブログ

花見にて「みんな誰かの大切な人」というのが不思議になった。

こんにちはヨシムラネコです。30代のワーキングマザーです。今回はいつにも増して「雑記」です。ただただ自分にとって印象に残る時間だったので書くことにします。

週末は近所の公園へ花見に行きました。花見といえば極寒の中ブルブルと震えて見た思い出が多いのですが、今回は幸い暖かな花見ができました。

桜に囲まれた広大な芝生の上に、思い思いにくつろぐ人々。あちこちでカラフルなテントが張られ、遠目からはそれがミニチュアの都市みたいに見えました。

夫が娘を遊びに連れ出している間、私は一人で荷物番をしていました。
ふと周りを見渡せばたくさんのファミリー、子ども、たまにカップル……桜の下で皆ワイワイとおしゃべりしながら飲んで食べて笑っています。

300人位いるんじゃないだろうか?という子どもたちが、それぞれ追いかけっこをしたり自転車を走らせたりボール遊びをしたりで、公園中が活気に満ち溢れていました。

その中から私は、自分の夫と娘だけをひたすら目で追いつづけていました。
トコトコ歩く2歳の娘のピンクの長靴。
夫の黒いパーカー。
周りにどれだけの人がいようと、私にとって重要なのはその2人だけです。
遠くへ遠くへと歩いていく2人。一瞬目を離したと思ったら見失い、もう見つけることが出来ませんでした。
しばらく目で探しつづけて、あきらめました。

それからようやく「その他大勢の人たち」の姿が目に入ってきました。

私が夫と娘を目で追いつづけように、あの人にも、この人にも、そんな眼差しを注ぐ人がきっといる。この公園にいる全員が、おそらく誰かにとって特別で大切な存在であること…。

そのことが急にとってもとっても不思議に思えてきました。もの悲しいような、でも気楽なような…。

こういう思いを全く持っていない人が、もしかしたら人を殺したりしてしまうのかもしれません。逆にこういう思いを感じすぎる人は生きにくいのかも。

そんな取り留めもない考えがぐるぐる頭の中で回ってふくらみ続け、なんだか珍しい心理状態になっていました。

 

その場をつないでいたのは桜です。桜を見にここへ来た、ということだけがそこにいる全員の接点でした。だけどその接点が、偶然生まれたものではないような…。

同じように人が集まる場所、例えばショッピングモールですれ違う人たちを見て、いちいちこんな感情は湧きません。

「今しか見られない桜を見ておきたい」あるいは「大好きな人たちと花の下で美味しいものを食べたい」という素朴な動機で成り立っている場だからこそ、何かいつもとは違うことを感じたのかもしれません。

今回はこれだけです。

だからどうしたという結論もなく、なんでもない日のなんてコトのない思いの記録でした。

では、また。

 

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