この記事で言いたいのは、
「重いドアを出入りするとき、後ろから来る人のために、ほんの少しの間でいいからドアが閉まり切らないように手を添えてほしい」
…ただそれだけなのです。
駅地下の構内のガラスドアって、やけに重くありませんか? あれを開ける時ってけっこう力がいるんですよね。とくに妊婦である今、あれがひじょうに重たく感じる…。
朝や夕方の通勤時間、駅構内と外をつなぐドアにはひっきりなしに人が出入りしています。
私も前の人につづいて歩き、閉まり始めるドアにちょこっと手を添えて、すばやく通り抜けます。すると、ドアが閉まりきる前に後ろから来る人がまた手を添えて、そのまた後ろの人へと道をつないでいくわけです。
他人同士ですが、なんだか優しさの連鎖で成り立ってる感じ。
ところがその優しい連鎖を無慈悲にたち切る人もいるわけで…。
先日もこんなことがありました。
私のふたつ前を歩く人が開けたドアの隙間に、ひとつ前の男性が、手も添えずスルリと身をすべり込ませて通り抜けていきました!
するとですね、その後ろの私は閉まる直前のドアと対峙することになるんです。押し返すのにもっとも力を必要とする状態。それが「閉まる直前のドア」です!!
ぐっ、重い〜〜。
あのね…ちょっとでいいの。通り抜ける時にちょこーっとだけドアに、1秒でも手を添えてくれるとありがたいのよ。あとは私がつなぐから…。
『最も伝わる言葉を選び抜くコピーライターの思考法』(中村禎著/宣伝会議)という本の中にこう書いてありました。
コピーライターに向いてない人とは
【その1】駅の通路などで、閉じた傘を持って歩く時、傘の先っぽを後ろに振りながら歩く人
【その2】混んだ電車の中でリュックを背中に背負ったままの人
【その3】夜、無灯火で自転車に乗ってる人
要は、周りの人の立場になって物事を想像できない人には誰かの心に届くコピーなんて書けるわけないよ、ということです。
私はここにぜひ項目を追加したい。
コピーライターに向いてない人とは
【その4】重いドアを通り抜けるとき、後ろの人のために手を添えられない人
って!
「自分がギリギリ通れればいいや」という風情でスルリと通り抜けていく人。私の経験からいって20代くらいの若いサラリーマンが多いようです。(あくまで私の経験)
自分の前の人がそんなふうにスルリと通り抜けていった時、私は心の中で「あんな人とはぜったい結婚したくないわ!」と捨てゼリフを吐きます。口に出さずともちょっとでもムカムカを解消したくなるんですね。
でも最近気づきました。私に「結婚したくないわ!」と言われたところで別に何のダメージも与えられないじゃんって。
心の中だけの仕返しとはいえ、どうせなら多少なりとも相手にとってダメージとなる一撃を加えてやりたい…。「ガーン! すみませんでした…。心を入れ替えてドアに手を添えます」と少しでも思ってもらえるような一撃を。
ということで、最近は
「ドアに手も添えられないようじゃね、コピーライターには絶っ対になれないから!!」と叫ぶようにしてます。(心の中で)
以上です。長文お読みいただき、誠にありがとうございました。
では、また。