日々のパレット

30代ワーキングマザーの雑記ブログ

「~だから出来ない」は無意識に自分でつくった状況かも

「新しい趣味を始めたいんだけど、なかなか時間がなくて…」
「ストレスのせいで甘いものを食べすぎちゃうんだよね〜」
などと言ったことありませんか?
私はあります。

よく言ってます。

こういう「~が理由で〇〇が出来ない」って、ごく自然な考え方だと思ってましたが、アドラー心理学の考え方をもちいると、もしかしたらただ自分への言い訳として、正当そうな理由をねつ造しているに過ぎないかもしれません。


◎アドラーの「目的論」に目からウロコ

ベストセラーの『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著/ダイヤモンド社)では、このアドラー心理学をわかりやすく噛み砕いて説明しています。非常に面白かったので、とくに興味深かった部分を自分の体験によせてご紹介します。(本の全体像は色々なかたがご紹介していると思うのでここでは割愛)

この本の中で紹介されていたアドラー心理学(アドラーが提唱した心理学)で「こりゃー画期的だ!」と目からウロコだったのが「目的論」という考え方です。
これまでフロイトなどが提唱してきた、過去のある出来事が原因で現在こうなった、という考え方をとる「原因論」とはまるで違うもの。


例えば、赤面症に苦しむ人がいるとします。

フロイトの「原因論」ならば
赤面症があるせいで、好きな人に告白ができない。(赤面症さえなければ告白できるのに)

アドラーの「目的論」ならば
好きな人に告白しなくてすむように、赤面症を引き起こしている。
(赤面症さえなければ告白できるのに→無意識下の本心は、もし傷つくくらいなら告白したくない。赤面症があれば告白しない理由になる)

という感じ。

(赤面症は本でも例として挙げられていましたが、あくまで例え話です。実際に赤面症に苦しむ人に対し「自分で引き起こしているだろう」と指摘したいのでは決してありません)

この「目的論」、悩みや苦しみの最中にいる人にとってはなかなか受け入れがたい考え方ですよね…。
なのですが、これを読みながら、自分の高校時代のことを思い出して妙に納得しました。


◎叶わない恋ばかりしてたのは、誰かと「お付き合い」したくなかったから?

高校時代、あるロックバンドの熱心なファンでした。テレビ番組にもよく出るようなメジャーバンドです。このバンドのボーカルに本気で恋をしてしまった! …と自分で思っていました。

どれくらい本気かというと、たまーに同級生の男子に告白なんかされても「好きな人がいるから付き合えない。ゴメン」と断ってしまうくらい。(さすがに相手が芸能人だとは言いませんでしたが)
ハタから見れば滑稽だと思いますが、自分では「いくら想っても叶わない苦しい苦しい恋」に胸が引き裂かれそうな状況でした。

これって、自分を守るための方便だったんだなーと今になって思います。アドラーの目的論の考え方をもちいて考えると、それがよくわかります。

高校生くらいになると、「お付き合い」=「手をつなぐ」だけでは中々終わらなくなってきますよね。キスをしたり、それ以上の肉体関係などに進展したりもするわけです。これが当時メチャメチャ怖かったんですよね…。本当に恐怖でした。

だから、叶う可能性のない遠くの人に恋をして、身近な人と実際に付き合わなくて済むように自分でしてたんです。


アドラーの目的論にあてはめると、こんな風に分析できてしまった。たまたま、成就しない恋に落ちてひどく苦しいと思っていたけれど、実は自分で仕立てたものだったという。
当時感じていた痛みやつらさは確かにホンモノだったはずですが(よく泣いたりもしていた)、やっぱりこんな風に分析してみると「そういうことだったんだなぁ!」と腑に落ちます。


◎まとめ・その苦しみは幻かも

今何かに苦しんでいる人や、出口のない迷路の中で途方に暮れている人。もしかしたら、その状況は自ら作りだしているものかもしれません。

その障害(と思ってるもの)のせいで、現在何が出来ないのか?
……と考えると、その何かは、じつは自分が「怖くて避けているもの」「避けたいもの」かもしれません。

そんなバカな! こんなに苦しんでいるのに何を言う! と思われるかもしれませんが(あの頃の自分だったらそう言って怒るはず)、もし「なーんだ、そうだったのか」と視点をずらして「私の本心はここにあるんだ」と自覚できたら、ちょっと世界の見え方が変わるのではないかなーと思います。

それによりたとえ状況自体は変わらなくても、自分の本音を自覚できる分、前向きというか。

そんなことを考えた読書体験でした。
他にも新鮮な考え方を多々知ることができた『嫌われる勇気』。とっても為になったので、興味があればぜひ。


では、また。

プライバシーポリシー